教員からのメッセージ
博士前期課程担当
私の担当する「英文学特講I・II」では、英文学の歴史という観点から見ても重要な小説、詩、エッセイなど、さまざまなジャンルの英文をじっくり読み、意見交換をするという作業を行っています。
授業でとりあげる作品は一見多種多様に見えますが、共通のテーマがありまして、それはズバリ、愛!学問研究は本来、夢中になった作家や作品への「愛」からスタートし、ある意味「ゴール」とも言える修士論文もまた過去の研究者から今、そして未来の研究者へと受け継がれてゆく「愛」であって欲しい、と思います。
文学研究は、作品の内容を正確に把握する、というところからすべてが始まります。とは言え、大学院での勉強ではそれに加えて、読みとった内容に関して自分なりに何かを言う、つまり「発信する」ことができなければ作品を本当に「読んだ」ということにはなりません。担当者である私の「無茶ぶり」とも言える質問に、受講者からときにハッとするようなコメントや、新しい読み方が提示される ―そんなスリリングな瞬間を、皆さんにもぜひ体験して頂ければ、と願っています。
博士前期課程担当
私の専門分野は、言語学(特に、意味論・語用論)です。具体的なテーマとしては、ユーモアの言語学的研究、とりわけ、ジョークの構造の研究を続けています。最近の論文では、ジョークと怪談の構造を比較しました。
ユーモアの本質は、そうであるはずのものからのズレにあると言われています。簡単に言うと、「変なもの」を私たちは、滑稽だと感じるのです。このことは、「おかしい」という語に、「変な」という意味と「滑稽な」という意味があることからも裏付けられます。ところが、普通と違ったものは、時として、「不気味なもの」でもあるのではないでしょうか?このように、ユーモアと恐怖は表裏一体のものです。この点に着目して、ユーモアの表現であるジョークと恐怖の表現である怪談にも、共通性があるのではないかと思った次第です。
ユーモアの研究の他には、日本語の文法にも興味をもっています。私の専門は元々英語学で、日本語学ではないのですが、せっかく日本語のネイティヴ・スピーカーなのだから、日本語を研究しないのはもったいないと思ったのです。それで、数年前から、終助詞「な」について、ずっと考えています(なかなか最終的な結論は出ませんが)。
これから大学院に入学する皆さんも、幅広い分野に興味をもち、多くの本を読み、志を高くもって、研究に励んでほしいと思います。私自身の学生時代を振り返ってみると、大学院の時が一番思い切り勉強できた時代でした。思えば贅沢な日々でした。この幸せを皆さんもぜひ味わってみてください。