公開日 2023年12月20日
皆さん、こんにちは!いよいよクリスマスです。
日本は江戸時代、ずっと鎖国をしていて、
西洋の事情はオランダのごく一部の情報筋から伝わってくるのみでした。
では、日本人による最初のクリスマスはどのようなものだったのでしょう?
江戸時代が終わってすぐの明治7年(1874年)、
原胤昭(はらたねあき)というキリスト教信者が、
東京でクリスマスを主催したことが、
プロテスタント教会関係者の記録文書に談話として残っています。
この原胤昭氏は、江戸町奉行の与力だった人物で、
これは、イラストの大岡越前(Wikimedia Commonsより)の配下で働いていた、
江戸の街の警察官(プラスちょっとした裁判官)のようなポジションでした。
時代劇ではこの役をよく見かけます。
彼は、サンタクロースの役に扮する人物にも、
イラストのような江戸時代の正装をさせ、刀を差した「殿様風」の恰好にさせたそうです。
また、江戸っ子らしく皆を楽しませようと張り切っていた様子が、
お神輿(みこし)で有名な東京の神社である「神田明神」の祭りを主催する気持ちでやった、
という談話にあらわれています。ただ、いろいろと空回りしているところもあったようで、
例えば、天井からミカンを吊り下げて十字架を飾りつけたところ、アメリカ公使館員から変だ、
と言われ撤去させられています。
また、花屋からハナカンザシ(マーガレットに似た白と黄色の花)を買い集めて装飾にしたり、
芝居の幕を使ってクリスマスツリーを最初のうち隠し、
ひもを引くと一気にツリーが姿を現す仕掛けを作ったりしていました。
ツリーには名前を記したプレゼントを吊るし、
クリスマスの終盤には名前が呼ばれてプレゼントが渡される段取りになっていました。
いろいろと派手な趣向になっていた模様です。
また、この話とは別に、明治11年(1878年)には、
足袋がクリスマスツリーから吊るされ、中にプレゼントが押し込まれている様子を、
日本に滞在しているアメリカ人が日記に記録しています。
靴下(ソックス)でなく、足袋というところが、
欧米の真似をしているとはいえ、江戸時代を引きずっている感じです。